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<動画内容の一部>
・「三角持ち合いの放れにつけ」の考え方
・上昇トレンドと下落トレンドの考え方
・上にマドをあけた株はカイか
・ダブルトップ、トリプルトップの考え方
・株価の上げ幅に対する下落率から株価の強弱を判断する
・3分の1押しか半値押しか
・株価が上がる3つの材料。株価が下がる3つの材料
・放れて十字は捨て子線
・指値はチャンスを逸する
・値ごろより日柄、の考え方
・初押しはカイか?

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毎年、相場見通しに関する書籍を出版

菅下清廣の投資に関する最新刊の情報や、菅下清廣の大局観などを定期的に配信しています。

過去に紹介のコラム(書籍より) 1990年代 欧⽶の超名⾨投資銀⾏ラザールフレールにて

今からおよそ30年前、私は、
⽇本法⼈ラザードジャパンアセットマネジメント株式会社
に転職した。

⼊社後まもなく当時のイギリス⼈の社⻑にかわって
⽇本法⼈の代表になることが決まって、

当時ニューヨークのロックフェラーセンタービルの
中にあった本社で創業者で

“ウォール街最後の帝王”
と尊称されていたミッシェルデイビッド社⻑に
あいさつと⾯接をかねて、

たった⼀度だけお会いする機会があった。

その時のウォール街の帝王の社⻑が言った。

「⽇本代表就任の条件として、ラザードは、世界中で⼀流の顧客を相⼿に取引している。なので、⽇本でもトップクラスの顧客を開拓して取引してもらいたい。」

私は即座に分かりましたと返事したのだが、
ではどうすれば⼀流の顧客を⾒つけることができるのか?

ウォール街での最初の研修プログラムの
私の上司、研修担当者だった上司から⾔われたことを思い出した。

「ミスタースガシタ、我々は富裕層を相⼿にする商売だ。相⼿の多くは知的⽔準も⾼く、⼀流の⼈たちだ。だから、そういう⼀流の⼈たちに認められる知⼒を養い、トップクオリティーのライフスタイルをめざさなければならない。そして、⼀流の⼈たちが出⼊りするような場所に、できるだけ⼊りこんでゆくことを常に⼼がけることだ。」

その後、私はホテルにしろレストランにしろ、
⼀流の⼈たちが好んで利⽤しているような場所に
出⼊りするように⼼がけた。

そうすると、ウォール街の上司の教え通り、
⾃分もしだいに⼀流の⼈たちとの交遊が広がっていったのです。

有能な⼈、成功している⼈たちとつき合えば、
常に学びがあります。

また良い⼈とつきあっていれば
良い⼈を紹介してもらえます。

つまり良い⼈脈があれば、
⾃然と良い情報が⼊り、
仕事も順調、資産形成、お⾦持ちへの道
が⼤きく開かれます。

私が “経済の千⾥眼”というニックネームを
いただいていますのは、
多少未来予測能⼒があるからです。

それは私が霊能者でもないし、
とくにインスピレーションに
すぐれているわけではありません。

⼀般の⽅々よりも、良い⼈脈、良いネットワークを
⻑年のうちに形成しているからです。

残念ながら、⽇本の教育には
投資や⾦融経済のリテラシー(教養)を
⾝につけるような授業がありません。

なので、ぜひ⾃分⾃⾝で、投資頭脳を磨いて、
富裕層の仲間⼊りして、好きな時に好きな所に
⾏ける⼈⽣の⾃由を⼿にしてもらいたい。

ぜひ、みなさん、今からでも
資産形成にチャレンジしてみてください。
今や知価⾰命の時代が到来しています。

皆さんの知性や感性が、
新しい富を⽣むのです。

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講師プロフィール

菅下清廣
すがしたきよひろ

投資家、ストラテジスト(投資戦略家)
スガシタパートナーズ株式会社代表取締役

1974年〜1983年
世界最大の証券会社メリルリンチに入社。ニューヨーク本社での研修後、メリルリンチ東京支店にて事業法人および機関投資家の資金運用担当。メリルリンチ時代には、世界トップクラスの成績を上げた社員が招待、表彰されるクラブChairman’s Clubに4年連続で招待され、Million Dollar Producer’s Clubにも招待される。

1984年〜1989年
米国の名門投資銀行ギターピボティに入社。事業法人担当最高責任者に就任、大手企業の金融・財務戦略担当チームを指揮する。

1989年〜1998年
ラザード・ジャパン・アセット・マネージメント株式会社に入社。機関投資家・年金および政府系資金の財務戦略及び政策提言移管する担当の最高責任者に就任。1991年より代表取締役社長に就任。1998年、同社を退社。

現在は内外の金融機関、新興企業、ベンチャー企業のコンサルタントや金融顧問を務め、「経済の千里眼」の異名を持ち、政財界に多くの信奉者を持つ。